この『戦後八〇年論集』を取り組むにあたり、「あれがきっかけだったな」と思う出来事は振り返れば多い。しかし、決定打だけは断言できる。それは五年前に曽祖母が亡くなったことだ。棺桶を前にしたとき、私は不意に曽祖母について知りたくなった。それと同時に、時がたてば彼女の存在さえ忘れられてしまうのではないか、という言いようのない不憫さも覚えた。せめて、私だけでもしっかり覚えておこう──この「忘れられてしまう」事に対する強迫観念が私をここまで駆り立てたのだろうと思う。
遺品整理を進める中で、兄(江崎秋吉)が戦死していたことも知った。記録によると彼は一九三七年に福岡を出て陸軍士官学校に入学した。軍人の道に進んだのは、家が貧しく、医者の道を諦めたからであった。一九四〇年、中国に出征するにあたって遺書に「今第一の武将を志す」と書き残した。それは故郷のため、立身出世のためだった。しかし、志半ばで一九四四年、パプアニューギニアで戦死した。二七歳の若さだった。さぞかし無念だっただろう。同時に、「なぜ彼は死ななければならなかったのか?」と私は問うようになった。それは日本が明確な意思もなく中国に、仏印に、南方に「行けるだろう」という楽観的観測で戦争を続けていたからである。戦争で死んだのは彼だけではない。多くの兵士、特攻隊員、学徒、女性、子供、民間人、植民地下にあった人々、祖国から遠い大地で抑留に遭った者……ありとあらゆる人間が「あの戦争」に巻き込まれて死んだ。改めて、政府・国民が冷静に物事を捉えていかねばならないことを、この論集執筆の過程で痛感した。
また、改めて寄稿してくださった館長の皆様、先生方に感謝申し上げたい。舞鶴引揚記念館の館長・嵯峨根様、平和祈念展示資料館の館長・増田様、本学の富樫先生、ならびに日頃よりご指導いただいている吉田先生には、ご多忙の中、本論集にご寄稿いただきましたこと心より御礼申し上げる。皆様から寄せていただいた原稿が、多角的な視点や、新たな問題意識を見いだすきっかけとなれば幸いである。
さらに、執筆してくださった先輩、同期、後輩の皆様にも感謝申し上げたい。就職活動や学業に日々追われる中、論文や体験記を執筆してくださった。同期の窪田君には、私の何気ない一言をこうして大きな企画として形にして頂いた。奥見君、後輩の山田君には編集作業も手伝って頂いた。心より感謝申し上げる。執筆してくれたみんな、本当にありがとう。
さいごに、本論集が、少しでも明るい未来の礎となれば幸いである。もし一〇年後、「戦後九〇年」を迎えることができたなら、後輩たちがこの思いを受け継ぎ、何らかの形で行動を起こしてくれることを祈り、本稿の結びとする。
堺 凌