【論集企画】写真でよみがえる戦前・戦争・そして戦後

ここでは、本論集執筆にあたって集められた写真を複数AIによってカラー化し、掲載しました。AIでのカラー化にあたっては、庭田杏珠・渡邊英徳「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」を参考にしました。語り手が居なくなる中で、残された「写真」が私たちに語り、教えてくれるものがあるのではないでしょうか。

戦争と市民 1930〜1947

1930年 福岡県朝倉市で撮影。二人は炭鉱で出会い、結婚した。
1932年 奈良縣立磯城農学校の卒業アルバムから。卒業後、官立三重高等農林学校に進学し、農林官吏としてのキャリアを歩んだ。
1936年 福岡県朝倉市で撮影。右の子供が編集者の祖父。父は警察官で、転勤が多かった。左は同僚警察官の家族。戦時下でも、貰い物が多く、食べ物に困ることはなかったそうだ。
1936年 佐賀県鳥栖市大正町の自宅で撮られた写真。上段・二番目、兄・官市(かんいち)が、弟の二人結婚を急ぎ、奥さんを連れてきたという。
1937年 佐賀県鳥栖市大正町の自宅で撮影。叔父の官市(かんいち)が事業に成功し、家には大きな雛壇があった。
1937(昭和12)年9月23日場所不明。窪田博陸軍歩兵伍長。
1937年11月 中国湖州市で撮影。南京へ向かっている際の写真。所属していた部隊は南京の直前で杭州へ目標変更になり、山々を超え、敵との戦闘を繰り広げ杭州を占領した。
年月日・場所ともに不明。演習のようす。
1937年12月 上海で現地にいたインド人警察と撮影。
1938年、同郷の墓前で。
1938年ごろ 窪田博少尉(写真左から2番目)と豊橋陸軍予備士官学校の同期たち
1941年7月29日 満州にある公主嶺戦車学校を卒業し、同年11月に少尉任官した際の写真。
1944年 佐賀県鳥栖市の自宅にて撮影。上段から幸次郎・兄の官市。翌年病死する。下段右は番頭。幸次郎の出征にあたって撮影されたものと思われる。
1946年、福岡県瀬高町で撮影。街には軍服を着ている人も多かった。晩御飯はそうめんだけだった事も。
1947年。福岡県吉井町で撮影。警察も制服が変わり、大部分が国家警察から自治体警察に変貌した。

Posted in

コメントを残す