ここでは、本論集執筆にあたって会員から集められた写真をAIによってカラー化し、掲載しました。AIでのカラー化にあたっては、庭田杏珠・渡邊英徳「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」を参考にしました。数枚はカラー化が不可能だったため白黒で掲載しております。語り手が居なくなる中、残された「写真」が私たちに語り、教えてくれるものがあるのではないでしょうか。

1937年、日中戦争はじまる

盧溝橋事件を口火に日中両軍が戦闘を開始。中国北部から上海へと飛び火し、全面戦争がはじまる。

1937年、佐賀県鳥栖市の自宅で撮られた写真。上段・2番目、兄・官市(かんいち)が、日中戦争がはじまり、弟の結婚を急いで見合いをさせたという。
1937年 佐賀県鳥栖市大正町の自宅で撮影。1937年は日中戦争が始まり、婚姻数が増加した年だった。
1937(昭和12)年9月23日撮影。奈良県出身・窪田博陸軍歩兵伍長。その後、中国へ渡る。
1937年11月 中国湖州市で撮影。久留米第18師団が南京へ向かっている際の写真。所属していた部隊は南京の直前で杭州へ目標変更になり、山々を超え、敵との戦闘を繰り広げ杭州を占領した。
1937年12月ごろ、中国で撮影。石橋忠幸軍曹とインド人警察。
1938年ごろ 窪田博少尉(写真左から2番目)と豊橋陸軍予備士官学校の同期たち
1940年、陸軍士官学校を卒業した江崎秋吉。44年、パプアニューギニア・ブーゲンビル島で戦死。27歳没。

陸軍士官学校を卒業した江崎秋吉さん(当時23歳)が中国に赴任する際に書いた遺書。
1940年9月、「バスに乗り遅れるな」の下、日独伊三国同盟が締結される(渡邉英徳教授のTwitterより)
1940年頃、満州将軍廟(ノムトソーリン)付近で訓練する戦車第5連隊。1年前のノモンハン事件で部隊には張りつめた空気があったという。
1941年7月29日 満州にある公主嶺戦車学校を卒業し、同年11月に少尉任官した石橋孝幸さん。
1941年、太平洋戦争はじまる

日本軍は真珠湾に停泊する米太平洋艦隊に奇襲。同時にマレー半島へ侵攻。3年8カ月におよぶ太平洋戦争がはじまった。

1943年から45年まで続いたブーゲンビル島の戦い。米軍の圧倒的な戦力を前に日本軍は壊滅した。
1945年4月1日撮影。沖縄上陸前に撮影(出典:沖縄県公文書館)

1945年、佐賀県鳥栖市で撮影。防空訓練のようす。女性が多い。
福岡県柳川市に住む20歳女性の日記。8月9日にソ連参戦、長崎に原子爆弾投下が記されている。
1945年、日本無条件降伏

広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦により8月14日、ポツダム宣言受諾が決定。9月2日、東京湾のミズーリ号で日本が降伏文書に調印した。その間、ソ連軍の侵攻は続けられた。

1946年、福岡県瀬高町で撮影。街には軍服を着ている人も多かった。晩御飯はそうめんだけだった事もあったそうだ。
1947年。福岡県吉井町で撮影。警察も制服が変わり、大部分が国家警察から自治体警察に変貌した。
ソ連からの引き揚げ船・高砂丸が舞鶴港に寄港。日の丸を掲げ、遺骨を抱いて帰国=京都府舞鶴市で1950年1月22日、染谷光雄撮影(出典:毎日新聞)
軍人軍属欠落者とは、軍務期間が短いゆえに政府からの恩給が受けられなかった人々。シベリア抑留者と抱き合わせで1988年、政府から慰労の形を取って補償が行われた。

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