経済学部経済学科 堀口悠生
はじめに
私の祖父は現在七十九歳である。先日帰省した際に、祖父は自身の学生時代についての話をしてくれた。本稿ではその際に語られたエピソードの中でも、「楯の会」や三島由紀夫に関するものに焦点を当てて記述する。はじめに断っておくが、この体験記は太平洋戦争を中心にしたものではない。だが、戦後に日本国内で行われたもう一つの闘争の体験記として受け取っていただきたい。
祖父と「楯の会」
祖父は私と同じ岡山県倉敷市出身で、高校時代までは岡山に在住していた。その後日本大学に進学し、静岡県の三島や東京での下宿生活を始める。当時は大学進学できる者が富裕層などに限られており、地方からでてきた祖父はこの時重視されていた「重厚長大」とは逆の「軽薄短小」を売りにしていたという。また進学したのはいいものの、当時は学生運動が盛んで、そのあおりを受けて大学が休みになる時期もあった。
そんな祖父と三島由紀夫との出会いは偶然だった。祖父が知り合いの子供の幼稚園の送迎をしていたところ、三島の妻(平岡瑤子)にも娘たちの送迎をお願いされ、その後三島本人とも知り合うことになる。
当時の三島は「祖国防衛隊」構想をもち、自衛隊への体験入隊に意欲的であった。祖父も陸上自衛隊富士学校での体験入隊の合宿に参加しないかと誘われたが、祖父は当時夜間学校に通っており参加できず、代わりに同郷の友人を行かせることにした。その後、体験入隊に参加した者を集めて一九六八年に発足したのが、民間防衛組織「楯の会」である。ちなみに祖父は、体験入隊に参加しなかった代わりに、盾の会の制服の採寸など事務的な仕事をさせられていた。また、三島からは「入会しないか」と言われていたが、体験入隊に来なかったことを笑い話にされた祖父は意固地になってそれを断ったという。
こうして、予期せず楯の会と関わりを持つようになった祖父だが、実は三島や右派の思想・活動について特段の興味や理解を持っているわけではなかった。祖父いわく、この時発売されていた三島の本は旧字体や旧仮名遣いがたくさん使われていて、すぐに尻込みしてしまったらしい。だが、そのおかげで逆に三島に気に入ってもらうことができたという。当時、下宿の大学生にとって食費は大きな問題であり、祖父は楯の会の会食パーティによく参加させてもらっていた。その会食の中で、会員や三島を慕う人たちが三島のことを「先生」と呼ぶらしいのだが、三島は「ここでくらい仕事(小説執筆)の話はしないでくれ」と腹を立て、祖父の率直な言動をかえって喜んだという。
また、祖父は印象に残っていることとして、楯の会の行進が行われる際の人の多さを挙げている。行進は多くのメディアを呼び集めて行われており、野次馬も含めて相当な人数がいたという。これは余談だが、このとき左派メディアだった朝日新聞だけはお呼びがかからなかったらしい。このようにかなり注目を集めていた楯の会の人気は相当なものであり、制服を着て街を歩いているだけで女性に囲まれるなどということもあったようだ。
さらに、祖父からは三島事件についての話もあった。三島事件とは、一九七〇年十一月二五日に三島が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において自衛隊員に決起を促す演説をしたのち、森田必勝とともに割腹自殺した事件である。実は、この事件の数日前から三島はよく家を空けるようになったようで、祖父は三島の妻に頼まれ三島を探しに行ったこともあったが、結局見つかることはなかった。そして三島事件の日、祖父が三島の死を知ったのは、食堂で食事をしていた時に見たニュースだった。この時、祖父は意外にも驚くことなく冷静に事態を飲み込んだという。三島が以前、「本を書くことは魂の切り売りだ」と話していたことや、最近の挙動からも祖父は薄々勘付いていたらしい。そのため、ニュースの第一印象は「ついにやったか」だったという。そして、この事件後、祖父が三島や楯の会と関わることはなかった。
おわりに
本稿では、大学時代の祖父と楯の会との関わりを中心に紹介した。祖父は「自分は三島さんの政治信条や考え方などはよくわからなかった」と話していた。だが、だからこそ楯の会をはじめとする様々なことについて「ありのままに」脚色せず私に話してくれたような印象を持った。祖父への聞き取りを通じて、国家、政治、思想、社会の出来事だけでなく、ある一人の証言にフォーカスすることで、歴史の真実がより克明に見えてくることを知れたと同時に、わたしたちも歴史の証人になるかもしれないという可能性を感じることができた。
参考文献
NHK「三島由紀夫」NHK放送アーカイブスhttps://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009070340_00000 二〇二五年一二月二三日最終閲覧。
三島由紀夫文学館・蘇峰ふれあい館「三島由紀夫について」三島由紀夫・蘇峰ふれあい館HPhttps://www.mishimayukio.jp/二〇二五年一二月二三日最終閲覧。

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